行けるうちに行く (4)

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午前中は快晴。大草~東園間。キハ66/67国鉄色

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長崎に行って見るもの?やっぱり「長崎喧嘩騒動史跡」でしょ! (「葉隠」参照。隆慶一郎死ぬことと見つけたり」でも取り上げている) というのはさておき、長崎は一人で回りたいように回れた覚えがなく、そのため市電も半分近くしか乗れていなかった。それで今回は西浦上、赤迫から長崎市中心部にに入り、正覚寺下蛍茶屋などを回ることにした。

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崇福寺」というよりは「正覚寺下」だよな。長崎電気軌道の終点はこういう川っぷちや路線を伸ばすには限界な地形ばかりである。石橋もそうだし、蛍茶屋は停留所すら坂の途中で電留線がやっと平地とか、ここ正覚寺下も停留所を過ぎたら坂道。

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この日は臨時便 (浦上車庫~新地中華街) が出ていた。それにしても在来色の車輌が多い。鹿児島などは一両も運用に就いていなかったが、ここ長崎は200、300、500の原色が大量に運用されている。場所は出島~新地中華街の狭隘な路面区間

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長崎は坂の町といいますが、出島あたりを見ていてはそういうイメージはない。ただし新地中華街の裏手を抜けたら地元の人間しか通らないような坂道があってそこを抜けるとオランダ坂への道に抜ける。活水女子大の脇道はオランダ坂の碑はあるが「ラッセル通り」が正しい名前らしい。

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元々活水女子大の施設が長崎県に寄贈されて「東山手甲十二番館」「十三番館」となったのだが、無料公開しているほうが十二番館で、貸出しているのが十三番館だったのか忘れそうだし、そもそもここもずーっと昔に修学旅行で歩いたようなそのあたりの記憶すら乏しい。