会計は女の顔をしていない

題名に意味はない。流行りものですので。それちゃうw
女性の容赦のない批評は面白い。こういうところに呼ばれるのも、長年の信頼関係があるからなのだが (お互いに「吐き出さなければやってられない」ので)、複眼的なものの見方ができるようになるのは有用である。

しかし、周囲の女性から見てもああいう評価だとふつうは使いづらいという結論にしかならないのだろうが、長所があるのは事実である。「やればできる子」なのに、一線を引いてしまうのはどういうことか。「決断」を避けることに、自己肯定感の不足があるのなら、自分が肯定するから思い切って判断しなさいではダメなのだろうか。いや、仮にそういう育て方をしても「判断は上がするもので、オマエが考えることではない」と即座に否定するような人間を相手にしたら、また逆戻りだ。そういうことの繰り返しなら、心を開かないのも当然だが、では自分が相手の心を開けるのかという自信もそんなにない。

あるいは「化身」のごとく、自らの知識を移植することを試みてしまってもいいのだろうか。でも、お人形さんのように育てられてあとになって「いい歳だから」と放り投げるくらいなら、周囲からの視線があろうが、自らの意志を表明できるようにする、物事を判断できる体系を教えることも、ある種の責任なのかもしれない