頭痛がいたい的ななにか (4)

しばらく内省的なものを書き続けていたい気分である。

金曜日は一旦気分は収まったのだが、土曜日の朝に立ち上がりからキレッキレッな家人の対応にうんざりしつつ、長時間の運動会で疲弊して爆睡したものだから (あっしまった這ってでも買い物に出かけるべきだったが体が動かなかった)、ますますおかしくなりそうではある。そんな時に読むべきエントリがこれ。

http://www.bokukuro.com/entry/2015/09/16/001542
常々「周期」はある程度把握しておかないとまずいことは今までの経験上わかっているのだが、所詮それは対処療法にすぎず (文句を言われるからそのまま受けておこうか、という話にしかならない)、やはりどこかできちんと詰めなあかんのやな それも「周期」を外した時期に。さすがにそのさなかにやるとガチで血を見て収まりがつかなくなるはずや

とはいえ、一方的にクソミソにやられるとなあ、聞き流すだけでも非常に胸糞悪いんやけど (時間が解決する面はあるのだが、それがますます関係を冷えさせる側面もあってやなあ) そういう意味において「子は鎹」であるのは真理ではあろう。それすら鎹にならなければ、間違いなく「三行半」パターンである (事例あり)

つまり、その微妙なきしみが精神面に影響を与えているのは事実なので (そうでなければわざわざ破滅することがわかっている妄想を頭のなかに描くか)、どこかで納得いく形で詰めなければならないのだな。自信ないけど