闇雲に走り、そして動く(動かす)

今月は公私ともにそんなことが続いた。多忙さにかまけて何も見ないというわけではなく、むしろ時間に若干余裕があるからこそ、懸案事項をいかに片付けるかということに注力すると、そういう面倒なことをなんで手がけるんだろうという気にもなる。実際、それが金になるかといえばそんなことはなく*1、むしろ「見ない」ままにしてそのまま生きるほうがどれだけ楽なことか。「見えて」しまうということはある種の「因業」であるのだが、世の中にはそういう「因業」をいかに楽しむかという側面もなくもない。

*1:仕事も同様で、誰も見ないことをきちんと整備したからといって出世するわけでもない