戦前の「パルプ工業史」を辿る(2)

あるいは「大凌河に『葦』の声を聴く」でもいいのだが ← 牽強付会
閑話休題前回の続き。
満洲における「パルプ工業」の勃興が遅かったのは、樺太に比し立地条件が悪かったという事情は先に述べた。そのような中、豆桿・葦などを原料としたパルプ工業が建設されたのもまたひとつの特徴である。ただし、パルプ工業に必須である無機化学系の工場立地はほとんど考慮されていなかった点に注目したい。レーヨンビスコース法における主要薬品は「苛性曹達」「二硫化炭素」の二点だが、前者は「塩田」で取れた製塩を電解法で精製すればどうにかなろうが、後者はいかんともしがたいところがある。日本は有数の火山国なので硫黄系薬品の精製は決して困難ではないのだが、満洲では火山帯がほとんどないためにほぼ全量を輸入に依存したことは間違いない。さらに日本でさえ量産技術の確立がされていなかった「豆桿」「葦」パルプなのだから、現地での生産には大いなる困難が立ちはだかっていたことは言うまでもない。
【この項 気が向いたら続く】