2005年の反日と、2012年の反日。

家人と日中関係の話がのぼったのでふと思いついて書いてみた。
2005年4月の「反日デモ」については、小泉純一郎総理の靖国神社公式参拝を契機としながらも(前年からその傾向はあり2004年9月には徐家匯で反日ビラを配る人間がいたのを見ている)学生・農民工(内陸部出身の出稼ぎ労働者)の経済格差に関する不満が爆発したものという見解を取っている。実際、デモの前日には中方社員より「明日はそういう連中が大挙するから絶対市内に出るな」という忠告を受けており、また当時回ったSMSでは「925路で人民広場に集まれ」という内容であったためその路線バスのルートを避けて市内入りする必要性もないと判断し、寮にこもっていたらあの始末。
それと今年の「反日」について考えると、次期主席に関連する報道の煙幕の可能性も考えられるが、対比すべきなのは日中における「経済格差」感覚が逆転した印象。つまり日本側が妙に突っ張りすぎて中国側も引くに引けなくなっているのではないかという穿った見方をしたくなる。あとは中国側の経済成長停滞の影響とか、そういう微妙な影響が影を指しているのではないかと考える。去年より満州港湾史に関連する資料を集めだして読み込みを行なっているのだが、「労務問題」との妙な符合とか、気になるところはいくつかあるのだが、少なくともそういう閉塞感の集積がこういうところに現れるのは事実である。いくらなんでも「対手とせず」まで一気に突っ走るとは思えないのだが、その前段階として「基本的人権」を取っ払った「生活保護」や「尊厳死」などの問題が堂々と論議される空気がどうも尋常ではないので、そうした懸念が杞憂であることを望む。