「手を抜く」ことは「部下を育てる」ではない。

http://blog.livedoor.jp/otakingex/archives/51303573.html

――たとえ子供がいても、仕事に打ち込みたいとか、育児を面倒がる男性も多いじゃないですか
岡田「仕事の負荷は年齢が上がるに連れて下がるんですよ。20代の頃って仕事が難しいけど、30代40代になるとどんどんやりやすくなってきて楽になるから、仕事に打ち込むのが逃避になっちゃうんです。それはやらない方がいい。40代は手を抜かないと、そいつは働いてないってことです。手を抜けば抜くほど誰かに任せてると。それが人を育てるってことになるんです。40代になって働いてはいけませんよってことじゃないんですけど、仕事の半分は指示で、半分が教えるぐらいがちょうどいいんですよね。自分でやってたら、ずっと自分のやり方しか分からなくなっちゃう」

http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20111225/ でも言及されているが、「シングルマザーと付き合えばいい」とは別の違和感を自分は抱いた。一部分を抜き出せば、言っていることは間違っていないように見えるが、仕事に関する価値観だけは決して首肯できない。
20代の頃はむしろ仕事の分量で勝負をする時期であり、それを30代〜40代にかけて経験値と知識の上積みで対処していく。忙しさに加えて、家庭を省みる面倒さなどから「仕事に逃避」しやすくなるのは事実だが、部下を育てることが「手抜き」であっていいはずがない。いくら何でも「これ任せたからやっといて、あっ失敗したら責任もよろしくね」という投げっぷりだとすれば確かにそれは「手抜き」と言えよう。
「事象説明」が諳んじて説明できてはじめて「業務指示」が出せるのであり、そのためには膨大な準備時間も必要だし、様々な質問に対し順を追って答えていく作業はかなりしんどい。それでやっと「仕事を任せる」ことができるのだが、そこを敢えて混同している節があり不快に感じた。「部下が潰れたのは才能がない」「育つ部下こそ良い部下」程度なら、誰だって言える。
それで「育児をやらないと自分が分からない」と発言しても何の説得力があるのか。そもそも、岡田斗司夫が人に語れるほどに育児に専念してきたとは思えない。実際に子供の知らぬ間に協議離婚していたとか(「フロン」)、正気の沙汰ではない。「育児論」「組織論」を語ることなど烏滸がましい。

フロン―結婚生活・19の絶対法則 (幻冬舎文庫 お 26-1)

フロン―結婚生活・19の絶対法則 (幻冬舎文庫 お 26-1)

(補遺)
「シングルマザー」云々から、なぜかこの本を思い出した。文脈は全く違うのだが。
ぼくらのSEX (集英社文庫)

ぼくらのSEX (集英社文庫)