掉尾を飾るは「偽鬱」の御仁。

http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20110210/
検証班氏がすでに言及しており、藤岡真氏が「ツッコミがぬるい」と激怒しているのだが、その中でここだけは言及しておかねばならない点がある。
以下引用(P126「体力低下と家族問題の相乗効果」)。

―その後は大病もしましたしね。
唐沢 一昨年ですね。自分で自覚はなかったけど、心不全で一時大騒ぎになった。あの時、医者に言わせるといつ心臓が止まってもおかしくなかったって。ふーん、無理かけてたんだなあ、と。で、出された薬のせいもあるんですよ、鬱々ってのは。気分を高揚させると心臓に負担かかっちゃうんで、出来るだけおとなしく鬱っぽくしてろと(笑)。その薬のおかげで、前みたいに仕事漬け、という生活は無理になった。
―躁鬱の波があるとすると、二〇年躁だとこのあと二〇年ぐらい鬱々としそうですよね。
唐沢 でも気がついたら、鬱って楽なんですね(笑)。躁のときって、一日仕事をしないとすごくあせって、イラついて自分に当たったりしてたんだけど、鬱になると、一日ぼんやりと過して、それが凄く嬉しかったりする。ここから生まれてくる創作物ってのも確かにあるな、と。ただ、サブカル的なものじゃないね。

そんな「鬱」はない。ふざけんな。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20100525/214588/
「鬱」症状が恐ろしいのは、仕事どころか趣味すら没頭できない上に、周囲がそれを理解できないことをわかりすぎてしまっているだけに、何をどうしたらいいのかわからなくて焦るのである。けっして「ぼんやりと過して、それが凄く嬉しかったりする」なんてことはない。それどころか、日々の生活の様々画面で「死」を選びかねない自分を想像できるだけに、衝動的に何かしでかさなすのではないのか怖くて仕方がなかった。ベランダでタバコが吸えなくなる思いなんて経験してないだろう。
唐沢の発言は典型的な「偽鬱」である。鬱病の人間は自分が鬱であることをそもそも認めようとしないし、堂々と書くなんてことはない(せいぜいその断片を書き散らすだけ)。はっきりいってここのくだりは非常に害悪である。
それ以外の「盗用」と「別居理由の糊塗」はここでは言及しない。