「俳句」と「Haiku」は全く異なる。

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20101205
すでにこの感覚を小林信彦*1氏が「素晴らしい日本野球」「ちはやふる奥の細道*2で指摘されている。これは、プーシキンの作品は「母国語以外の言語では真価が伝えられない」とコクトーが指摘した*3ことにも通じる。現に「オネーギン」は散文訳だし。
時代背景としては、1970〜1980年代の日米貿易摩擦ならびに文化摩擦があり、「将軍」が向こうで大受けしたとか、ウィザードリィ「素っ裸の忍者最強伝説」とか、「ブレードランナー」の「2つで十分ですよ」とか、ああそういえば「ベスト・キッド」なんてのもありましたな(リメークの成龍版じゃねー)。
実は、文化理解の過程においてはそういう「誤解」が生じるのであるが、もはやそういう「誤解」さえされなくなりつつある日本の状況も微妙な気がするし、では中国文化に対してそういう「誤解」が生じているとも思えないところがまた微妙なのである。そういう意味では、日米摩擦よりも米中摩擦のほうがある意味深刻なのかもしれないが、そこを「ぽちん」がどう考えているかなど知ったことではない。

*1:誤記あり修正。恥ずかしい間違い。

*2:新潮文庫版、既絶版。

*3:「存在困難」:「言葉について」P161