「ハッセルブラッド」が輝いていた頃。

http://shadow-city.blogzine.jp/net/2010/09/post_947b.html

そうなると、中学時代に写真部だったおいらも血が騒ぐというわけで、もっとも当初はペンタクスのSPしか持ってなかったので、1979年夏のボーナスでニコンFとニコンELWを買い、1979年の暮れにはハッセルブラッドのセットを買い、ナショナルの「ナショP」と呼ばれるグリップタイプのストロボを買い、自分でも撮りはじめるわけだ。

ネットゲリラさんがこんなことを書いていたので、コメントしたら返事があった。

えっ、ハッセルブラッドを購入ですか!
あの当時、新品だと会社員のボーナス並の価格だったという。
小生も未だに銀塩機を持っていますが、かつてはCanon AV-1(廉価版・部活のロッカーから接収)、それからCanon NewF-1に切り替えましたが、それとて中古で4〜5万はしました。今や、銀塩機を扱っている中古カメラ屋自体が激減し、新橋からは全滅しました。
懐かしい。(..)
投稿 SY1698 | 2010/09/19 19:51

>新品だと会社員のボーナス並
横浜のカメラ屋で38万とかだった。まさにボーナス全額突っ込む勢い。
でも、ハッセル持たないと勝負にならない。
マガジンは予備も必要だし、ポラパックも必要。
投稿 野次馬 | 2010/09/19 20:12

1979年当時の38万って。確かにあの頃はカメラ全般が高かった。フィルムの値段だって、下手すりゃ今より高いご時世。一時期は二眼レフに手を出していた時期もあったが、今やそんなものをやっている人間なんて見ない。ライカアグファが潰れたのは当然の流れだったのだ。