「毒親」=「子供」である。

ここで例の本を査収した話は書いたのだが、その続きとして。
結論から書けば、この手の「毒親」は、執拗に子供を自分の支配下に留めようとするが、それはただ単に自分の子供時代に「毒親」の下で溌剌とした子供時代を送れなかったので、自分の子供を「親」代わりにしたいだけである。それが証拠に、彼らは子供たちに何をするかというと、自分の精神的な欲求(つまらない愚痴を聞いて欲しいだとか)を満たしてもらうことに執拗なまでにこだわる。
発言そのものは、高圧的だし、逆ギレもするし、とてもじゃないが実の子供に対する態度ではないのだが、それもそのはず、逆に考えれば「幼児性」ダダ漏れなわけである。その子供が親に接するときの、何とも複雑な切り裂かれたような気持ちって何だろうと考えてみれば当然な話で「子供」が「親」の代役をするのだから、精神的に疲弊して当然の話だ。そしてそれをお互い形而上認識することがないために、問題を複雑にしている。
逆にこっちがそれに気づけば(「親」であるが「子供」である)、実の親が子供をあやし躾けるように、聞き分けのないことをいうのであれば「放置プレイ」をかませばいいだけのことだ。このあたりは、同著を読めばそこまで行き着くことも難しくはない。