「人生は、総合点」

「蓋棺定事」という言葉がある。死んではじめて当人の評価は定まるのだ、という言葉で、これプラス「非呉下阿蒙」と言われた暁には、テメーが言うなという感ありありなのだが(※)、実際問題、死んで見なければ当人の評価はわからない。

現に、Dイエー創業者の中内某は、晩年は見事に末節を汚したじゃないですか。あと、某小説家*1と喧嘩別れした、中山某*2とか、枚挙を上げれば限はない。

それなのに、何で親というのは、自分の子供に過度な期待をかけるのだろうか。成績が悪ければ叱咤し、なまじ良ければ更に上を望む、就職先も有名なところを目指せという、うんそれじゃ心が折れるわ。奈良の高校生殺しのように、勉強部屋を「集中治療室」と抜かしていた親は論外だが、どうもそんなんばっかだなぁ。

「大器晩成」とは言わぬ、30代からそこそこの結果を出せれば、それでいいんじゃないかいな、と正直思うわけだが。そんなもん、親の目の黒いうちに見ることはできないから(今から作ったって、自分は60台半ばだぜ)、親の見栄のために子供を使ったって、馬鹿らしいことは言うまでもないのだが。

(※) 16年前の賀状に、しっかり書かれた。覚えているよ、某H君。

*1:名は秘すが、高杉良である

*2:中山素平元興銀名誉顧問