「臨時工」なので「退職届」も書きました。

前述した文章を読んで、1993年夏に小遣い稼ぎのために印刷工場でライン作業をやった経験を思い出した。製本ラインの前に印刷物を並べて停台しないようひたすら補充する作業。ランプがつくとこっぴどく怒られたものだ。当時にしては決していい時給ではなかったが、ひたすら同じ作業を繰り返す作業というのは、学生のバイトならまだしもずっと続けられる自信はなかったし、今となってはなおさらない。ところが、このような印刷工場でも「なんでここにきた?」という方がかなり多かった。自分よりもかなり年上、前職も...という方もおり、世の不思議さを感じた。
ええ、翌年春に就職した業界といえば、もっとアレな業種だったので(地方に行くと大卒でさえ浮いている)かなり免疫は付きましたけどね。

本年の「本業」は終了しました。(・∀・)カエレ!!


すでに一日前に国会図書館は営業終了していたわけだが。年明けに備えて雑誌記事検索を重ねてきたが、もちろんそれはC82以後に生きてくるものであって、今すぐ役立つわけではない。とりあえず年内に仕事を片付けてしまえば(別名「打ち逃げ」と人は言う)あとは家の掃除にC81、年明けは適当に過ごしておしまいかね。
→ 結局越年だわ。そもそも「イメージ」を指示と言わん。

まずは「記録」と「分析」ありき。

http://www7a.biglobe.ne.jp/~to_words/01_05_soukatu.html

ここでは、ダメになった(頭をなめてしまった等)ボルト1本に至るまで、その損失分を記録している。経常利益1兆円を叩き出す企業が、下手すると単価1円にも満たない部品をチェックする。経費削減は大事だが、これを聞いて「費用対効果が釣り合わないのでは?」と思う方もいるだろう、私もそう思った。
そのチェックするEX*1曰く、「たかが、ボルト1本だが、記録からはそれ以上のものが得られる」との事らしい。つまりこうである、そのボルトが製品として使えなくなってしまったのには、何かしら原因がある。作業者が不注意で落としてしまった、インパクトの不良、納入や小分け運搬中の欠損、そもそもそのボルトが不良品(実際にあった)だった・・・、と原因はさまざま。そこから更に追求して改善を促す分けだが、頭が下がる思い。何よりも、ただ単に「ボルト1本だからと云って無駄にするなよ!」と声高に従業員に促すより、そういった上司の姿を見せる事による意識の定着こそがもっとも効果があるのではないか?と実感した。

世にコスト削減を謳う企業あれども、本質的な部分はまさにここにありと感じた。これが班長クラスまで徹底されているからこそ強いのだろう。現場レベルでできたとしても*2、全社レベルでできる会社はほとんどないし、仮に狂犬強権の下にそれを遂行したとしても*3、間違いなくその反動はどこかで来る。それくらいにこうした本質を貫き通すことは難しい。

*1:「班長」の意。

*2:これすらできなかったらある意味\(^o^)/。

*3:敢えて名は秘すが、買収を繰り返しながら平均勤続年数が10年を割る大企業。