更新を一か月以上放置していたのは異動前の引き継ぎやら色々難航していたわけですが、引越荷物も搬出し、C95も無事に終わり、初詣も終わったらあとは本日西方に出立するだけ。あとは荷物を整理したり賀状書いたりとかまだまだあるんですけど、ひとまず年始の挨拶と代えさせていただきます
無題(今日はてきとうに)
所用のため有休。これが所用というわけではなくて、各種資料収集が目的で、午後半日かかってしまった(半日で済んだのかという話もあるが済ませた)。考えてみたら有休を取得したのは二ヶ月ぶりで「ゆっくりお休みになってください」と言ってくれるひとがいるだけありがたい。そうでもないとやってられないけどね
C95 (12/31西え27a) 配置決定
無事に配置が決定しましたので、今冬は新刊・増補を作りますわ。現在考えているのが表紙が公図という薄い本に、あとは2の追補ですかな。おそらく今冬以降はそんなに参戦できなくなるので (今夏もそもそも申し込みはしなかった) まずはあと一か月の間に推敲を重ねねば
「命のビザ」とその模倣品
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2018090290065919.html
模造「命のビザ」救いの証し リトアニア公文書館が保管 2018年9月2日 06時59分
第二次世界大戦中、駐リトアニアの領事代理としてナチス・ドイツの迫害を受けた多くのユダヤ系難民に「命のビザ(査証)」を発給した杉原千畝(ちうね)(一九〇〇〜八六年)が領事館を退去して以降も、他の人物が模造する形でビザが発給され続けたことはあまり知られていない。その「模造ビザ」が、リトアニアで保管されていることが分かり、記者が現地で確認した。ユダヤ人らの手による精巧な模造ビザは、杉原の知らないところで計五百通近く作成されたとみられ、数百人が出国を果たした可能性があるという。 (リトアニアの首都ビリニュスで、栗田晃、写真も)
「命のビザ」は八百津町の杉原千畝記念館に現物が寄贈されており、今回の模倣品と比べると日本語部分の自体が明らかに異なることがわかるが、こちらのリンクを見るとほぼ字体がそっくりであり、本人でもない限りわかるはずがないし、また大使・総領事自身が個々人のビザに裏書するケースもほとんどなかったはずだから代筆と言われてもそのまま通っただろう。模造ビザの件は寡聞にして知らなかったが、波及効果で八百津町が注目されるときがまたくるのか。
【参考】
http://www.chiunesugihara100.com/visa-unmei2.htm
こちらの字体は「模倣品」に近いので、どうやらこれをもとにビザが模倣された可能性が高そうだ。