2018夏季休暇 (1)


551系(てきとう) この色の電車が走っていたのは30年も前の話となるのか。多摩湖線の351系よりこちらの淘汰が少し早かった。


京王競馬場線というのは平日こんなに利用客がいないとは思わず。都内でここまで乗客が少ない路線は例がない


東京競馬場前駅跡。地図で見ればなんとなくここにホームがあったのだなとわかるが、なんの案内板もない。

今週は夏季休暇をバラして取ったので2勤5休という変則日程。近場だけども足を向けない、いや何年振りの再訪かわからないエリアを中心に回ってみたが、疲れを押してこんな蒸し暑い中をなぜ歩こうと思ったのか

本日の日帰り仕業



西小千谷駅 (駅名表の裏にあった魚沼線史より。1954〜1956年のみ蒸機牽引だった)


青海川駅付近のお立ち台は本来午前中に撮影すべきであり、車輌もE129を筆頭に画一化されてなおかつ本数も少ない。日没前後を狙うのは運次第の要素が強い


某元代議士の唯一の仕事がこれ

西小千谷青海川浦佐と回って往復するというかなり過酷な仕業であった。0640出発の0200帰投。青海川海水浴場は砂浜どころか石ころばかりのかなり歩きづらい場所だったがそれでものんびりとすることはできる。8月中旬だけどクラゲの心配をする必要もないし。

地下複々線化事業 (実現するとは言ってない)


https://toyokeizai.net/articles/-/232551
こちらの東洋経済の記事に派生してTLで西武新宿線複々線化頓挫の件が流れてきたので、思い出したのが安比奈線の底地の件。たしか近年減損処理して川越市に寄付することにしたようだが、そもそもこの路線が休止後半世紀も持ってきたのは例の地下複々線化計画があってこそ。

ただし、あの会社が本気で複々線化計画を実施するつもりだったのか今となってはあやしい。着工すらした形跡もないし、特定都市鉄道整備準備金を積むための種として事業計画を出したのではないかという気もする。なにしろEDINET導入時に有報を外部委託しなかった (ああいう事情でできなかった) くすのき台のことだからそのくらいはあっても不思議じゃない。

前に「もう一つのセゾンの歴史」で上武鉄道から遡ってセゾングループの歴史を調べたことがあるが、こっちの場合は色々な意味で社史にかけないことが多すぎて、そうハゲタカ傘下にあったときが唯一社史が作れる機会だったんだよなと余計なことを連想した。

https://www.seiburailway.jp/company/ir/yuka-shoken/05yuho_sr.pdf
あとこのくすのき台、XBRL化を拒んでWordで出させろと頑強に抵抗したというが、実際このPDFファイルを開ければわかるがWordで作ったのをPDF化したものなんだよね。おまけに監査人があの今は亡き中央青山という段階でお察しでしょ (その数年前は個人の会計士事務所) しかし落ちてるところには落ちてるもんだなー

明日こんなんじゃね


たしか1月の大雪の時も早期撤退命令が出ながらも次の日は通常出勤なんで 明日なんかそれこそ通勤時間帯直撃すれば「出ていけば死ぬぞ」状態なんですけどねえ (PC持ち帰ったもののアダプタは持ち帰らず仕事を持ち帰る気ははなからない模様)

今月の進撃予告


中旬と下旬には少し足を伸ばしてみようかと思った。いちおう宿の予約は入れてはいるが、どういう行程を辿るかとか本当にてきとう。自力で動ける範囲内で車を回してみるだけのことだけど。第一次は帝国の残存区間制圧、第二次は例によって例のごとく。気合いだけでどこまで制圧できることやら

ついに「計算書類」が公開(北越急行)

http://www.hokuhoku.co.jp/company.html より
http://www.hokuhoku.co.jp/pdf/kessan34.pdf (事業報告・計算書類)

例年同社の決算公告の官報掲載は遅いので今月末にでも図書館に行くかと思って、さて前期決算はどうだったかなと調べてみたらまさか計算書類そのものが公開されるようになっていたとは!これも自分のように暦年のB/Sから決算状況を割り出すような人間がでてきたからであって、どんなに非積極的に公開しても割られるんだからと、ひるがえして一気に掲載してきたのはすごいw読めば読むほど面白いのでぜひとも一読を