「◯◯女子」とか類型化できるわけねえだろ

http://shimesaba.dyndns.org/?p=15113
レッテル貼り、ダメ、ゼッタイ。
最初読んだときに妙な違和感を感じたのは、大雑把に三類型化していることにあり、こういう事例を晒しあげること自体が、「自分を解体してその内蔵と汚物を見つめる」ことから遠ざけるんじゃないかということ。それがおそらく違和感の正体である。

たまにストレス発散のために飲みに行ったりしますと、そんなもんじゃ一概に言えない個々の事情とかあったりして、傍目にはそう見えても本人の意識は違ったりしているわけです (その傍目を残酷なまでに突きつけても、本人は納得しない)。その上でどういう方向に持っていけばいいかということを考えてきた人間からすると、こういう類型化は百害あって一利なし。そうでなくとも「濁った眼」がますます濁る。自分でさえ「理性的」であろうとしたことが自らの眼を濁らせていた事に気づいたのはつい最近のことで、やはり直接見た上で (裏は取りつつ)、考えていくしかないのだろうね。