「代用座車」の泥沼。



数日前にバックアップHDDの中を探してみたら、扎賚諾爾露天砿の写真からこのような貨車が出てきた。当時は蒸機を追いかけるのが精一杯で、こうした貨車まできちんと追いかけてはいなかったのだが (それでもわたしはまだ追いかけていたほうか)、実はこういうところに古い型式の貨車が転がっていることままあるので、もう少し真剣に形式写真を撮っておけばよかった。
でもって、この貨車なのだが、満鉄由来なのか、中国初の棚車P1, P3由来なのか判断が難しいのだが (伊図里河站構内外れには大量にこれらのダルマが転がっていた)、どちらにしろこうした構体が残っていたことだけでも奇跡かもしれない。何しろ、50t級のC50, P50ですら今となっては廃車体すら見るのが稀なのだから。
扎賚諾爾の「代用座車」廃車体は、蔵重信隆氏が「The Rail」で取り上げていたが、こちらが現役だったことについてはノーマークだったようだが、なにしろあそこは「ダイナマイト輸送車」や、棚車改造敞車や半鋼製C62Mなどのゲテモノが大量にいたので、こんなところまでマークして写真を撮る人間がいようはずもなかった。過去の写真を掘り返す作業はなかなか重要であった。