「懐古主義者」への批判をするならば。

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011032900919

東京都の石原慎太郎知事は29日の記者会見で、東日本大震災に関連し、「桜が咲いたからといって、一杯飲んで歓談するような状況じゃない」と述べ、被災者に配慮して今春の花見は自粛すべきだとの考えを示した。石原知事は「今ごろ、花見じゃない。同胞の痛みを分かち合うことで初めて連帯感が出来てくる」と指摘。さらに「(太平洋)戦争の時はみんな自分を抑え、こらえた。戦には敗れたが、あの時の日本人の連帯感は美しい」とも語った。都は既に、花見の名所となっている一部の都立公園について、節電などのため入園者に宴会自粛を呼び掛けている。
(2011/03/29-19:12)

石原慎太郎の懐古主義もたいがいだが、それを紋切り型の批判しかできない唐沢俊一の文章は非常に見苦しい。「追討本」の刊行が決まって個人的には目出度いところなのだろうが。
http://www.tobunken.com/news/news20110329203029.html
【文体模倣による批判】
私は太平洋戦争の戦術を肯定するものではありません。個々の戦闘における陸海の戦士たちの活躍もよく知るところですが、大局的な戦略なき戦線の拡大がどのような結果を抱いたかは既に知られたところです。
また、一方で「あの戦争の時の国民が、軍部により抑えつけられた」という定説を信じ、勉強したつもりになっていることほど始末の悪いものもありません。私は今回の震災の報を聞いたあと、日記類に手を伸ばせるほど気分的な余裕はなかったのですが、そのあたりはむしろ同時代を生きている小林信彦氏のエッセーを読めば、そういう単純化した意見に呼応してはならないと気付くはずです。

【文体模倣終わり】
前にも書いたが、花見自粛の文脈は「電力供給事情」から読み解くべきで、輪番停電のない東京23区でそういうことをすれば、それ以外の区域から非難を浴びる*1のだから自粛してくれ、と言えばよかったのだ。それを自分に酔った発言をするから非難されるのも当然なのだが、それを唐沢俊一のように紋切り型でやろうとするからおかしな文章になるのだ。文章が空疎なのは、その中に自分の「経験」が入っていないことが大きいのだが、その一番の原因は、「輪番停電」がない区域に住んでおり、「通勤電車」を使うこともないからだと断言する。

*1:1区だけで、9回中7回も当たっている事実を見よ。