2006年3月〜6月日記の抜粋。

http://d.hatena.ne.jp/SY1698/20110123/ のつづき。
唐沢俊一 おぐり site:www.tobunken.com でググれ。205件。
そのうち、5件を抜粋してみる。
http://www.tobunken.com/diary/diary20060310000000.html
http://www.tobunken.com/diary/diary20060407000000.html
http://www.tobunken.com/diary/diary20060430000000.html
http://www.tobunken.com/diary/diary20060513000000.html
http://www.tobunken.com/diary/diary20060607000000.html
断片的には「TBSラジオへのゴリ押し」「距離を置かれはじめる」「うわの空との決別」からなんやらあって「あぁルナ」に接近しはじめた時期である。でも、「麻衣夢」に置き換えるだけで149件とか、少しは気をつけたほうがよろしいのでは。その理由は書くまでもないことだが。
(2006/03/10)

1時間、これもみっちりと話し、ナアナアでなく“こうしたい”“それは意味があるのか”などと意見をぶつかり合わせる。一番問題になったのは、なんとかおぐりも引き続き番組に出したいという私の意向に、それはまだ時期尚早、との反対意見がその場の全員から出たこと。

(2006/04/07)

おぐりについては、いくつかの企画が、おぐりに話したとたん具体化したという前例があるので、未確定まで含めて話してみる。いい感じではあるのだが、どうも酔ってループしてしまっていたようだ。話し続けているうちにおぐりが
「あの、腰折ってすいませんがそろそろ終電なので」
とすまなさそうに。これは悪いことを。ちょっと興奮気味だったか。

(2006/04/30)

今のうわの空に、その体制への移行の準備があるとは思えない。そのままの形で拡大していっては、必ずそこにほころびが生ずる。何度か、おぐりを通じてそこへの改革の具申をしたのだが聞いてはもらえなかった。

(2006/05/13)

おぐりとのコンビ、来てくれた人から“親子のように息があっていた”と、後で感想があって苦笑。そう、親父は娘のことを思うあまり、いろいろうるさく干渉してウザがられるものである。

(2006/06/02)

気圧のせいか、久しぶりに鬱になり(昨日聞いた某人と某女の、何とも嫌な話のせいもある)、今日もこの前夜祭、日暮里まで足を運ぶのが荷で、実はパスしようかと直前まで思っていた。

(2006/06/07)

うわの空でやったときは、演出家(座長)の意図に疑問を口にするなんてとても出来なかった(疑念を呈しておぐりにたしなめられたことがある)。もちろん、それはそういうやり方も劇団として大いにアリであって、どっちがいいとか正しいとかいうものではない。演出や作劇にこれが正道というものはないのだが、少なくとも前二回、私があそこに出たときは、自分の役の存在性というものに最後まで疑念を持ちながら演じなくてはならなかった。今回は自由にモノが言えそうでそこだけは安心。