「奨学金」がなければ「あしなが」に頼れば(以下略

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101021-OYT1T00027.htm
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20101022/
海外からの留学生に対しては奨学金の拡充をするのに、自国民に対しては「あしなが育英会」があるからいいじゃない、というオチとは思いたくもないが。実はアメリカの奨学金ローンは日本以上に苛酷なので、それよりはマシだと思えということなのか?
これは日本の特異現象なのか知れぬが、「成績」に加えて「内申」とか「社会貢献」とか余計なモノを求めすぎ。田中秀臣氏が、この件にかこつけて安倍晋三氏を非難しているのもある意味当たっていて、「社会貢献云々」というお題目を持ち出す人間に限って「儂に媚びて這い蹲れ」というどす黒い意思を持っているものである。春の甲子園の「21世紀枠」みたいなものだ。
ちなみに、学区制時代の都立高校はガチガチの「内申点」主義。3年2学期の成績表がものを言うので(なおかつ相対評価)、テストの点が良くても内申点で撥ねられたので、受験できるところが自ずから限られる。もっとも、内申点が良くても、都立高校の試験で爆死した人間もいるから世の中面白いものである。
ちなみに、出身高校の成績表は、どこをとっても「100点法」ガチガチの絶対評価(体育を絶対評価にする意味があるのか疑問だが)。今となってはある意味感動。徹底した数値化。