「就活」ではない「食い扶持」を探せ。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20100408/213905/
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100405/213853/
氷河期一期生(なおかつ転職してるし)の経験からすると、まず大学の面子にこだわっている時点でダメ出し。自分の時は、MARCHクラスでも「縁がなければそれっきり」ということを常々体感させられた。何しろ、面接がまるでダメ。イメージが湧かないのである。何をやりたいのかと言われても言葉に詰まるし、そもそも「超大手企業」なんてものは倍率もクソ高いのだから、二次面接に進む事自体がほとんど「運」である。運任せほど無意味なものはない。
ただし、ワンポイント外せば(知名度とかも「誰もが知っている」ではなく「知る人ぞ知る」に切り替えるとか)、意外な道は開けてくるものである。
あとは、面接官との相性。面接をしていて、なんかスルッとかわされたような印象を受けたら、それは「お祈り」されたということだ。そうではない、自分に覚悟を迫るような面接の仕方をしてきた瞬間、あるいは不利な状況におかれながらもどうにかこうにか論理的に話をつなげていったとき、もしくはもっと踏み込んだ話であるとか(これは転職活動か)そのような場合に先が見えることが多い。経験則だけども。
あっ、ブラックなところは、なんとなく雰囲気が違うからわかる。妙に愛想がいいとか、話が上手いとか、それホント直感のレベルですから。直感じゃなくても、どういうところで利益を出しているか、その会社のビジネスモデルを紐解けばすぐわかる。かつての「商工ローン」とか「商品先物取引」とかね。いや、大学生になってその胡散臭さを見抜けなければ、常識の問題。
ちなみに「就職活動人気ランキング」ほど意味のないものはない。すでに語り尽くされているし、社会人になって十数年も経てばその栄枯盛衰を見るには十分である。すでに図体のでかくなった超大手企業が、あと30年安泰であるという保証はない。就職するということは、ある意味人生を賭けるということだが、それ以上に自分が「飯を食う」ことの意味をしっかり考えることが重要であろう。
何しろ、自分が若かったころは、いつ会社を叩き出されるのか怖くて仕方がなかった。大学を出ただけで、何の仕事の能力もない(実務能力すらない)人間が給与を受け取れるということが、どれだけ心苦しかったことか。常に考えていたのは、「いつ外に出されても平気な実務能力を身につけること」こればかりであった。