「下士官」の責務とは。

貧弱な戦力しか持たされなかった小隊が生き延びる術は「下士官自ら、切り込み方を見せる」ほかないと思うのだが、いかがなものか。二等兵を使い潰す余裕のない環境下では、それしか取りうる戦術がないではないか。さすが下士官養成学校」出身者の末路だぜ
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まあ、自分の場合、大学時代の部活で、低評価を受けていた人間を中軸に育てる経験をしているから(当時は、勝利至上主義に染まっておかしくなっていた組織そのものを立て直すことを一義とした)、言葉のわからない連中を相手にすることは、非常に疲れるが、それこそ「誤差の範囲」、百万円以下切捨ての世界。気にもならんね。ところが、そういう当事者能力のない馬鹿共を相手にする能力を身に付けてしまうと、「崩壊した前線」で「殿軍」に立って、無意味に経験値が増えるという状況になってしまう。自分の知っている人間もそういう人生を歩んでしまっている(武士の情けで、あえて名は秘す)。
因果は巡る糸車。
当事者能力のない人間が前線に立っていること自体、兵隊にとって不幸なことはない。よく言われる「強い下士官のいる小隊は、人数が増える」というのも当然のことだが、だからといって、下士官本人が、硫黄島での「バロン西」のごとく、悲惨な末路を迎えたいわけではないのは言うまでもないわけで、「俺はこんな不毛な前線で何をやっているのか」と自問自答したときが、本人の忠誠度がゼロを振り切って360度逆回転するときである。NECの西垣某なる馬鹿が抜かした「10年は泥のようになって働く」、殊勝な人間がいるわけねー。


というオチで、本日の毒吐き、これにて投了。