「不毛地帯」→「沈まぬ太陽」で決別。

戦前、戦中、戦後を通じて政、財界の「参謀」としての道を歩んだ伊藤忠商事元会長の瀬島龍三氏が4日午前0時55分、老衰のため東京都調布市の自宅で死去した。95歳だった。富山県松沢村(現在小矢部市)出身。葬儀・告別式の日程などは未定。1938年12月陸軍大学校卒、大本営陸軍参謀として太平洋戦争を中枢部で指揮した。満州終戦を迎えたが、旧ソ連軍の捕虜となり、11年間シベリアに抑留された。56年に帰国。58年1月、伊藤忠に入社し、主に航空機畑を歩いた。68年専務に就き、いすゞ自動車と米自動車大手ゼネラル・モーターズ(GM)との提携を仲介した。72年副社長に就任し、安宅産業との合併を担当。副会長、会長、相談役などを経て87年7月から特別顧問、2000年6月に退任し、理事。航空機商戦を描いた山崎豊子氏の小説『不毛地帯』の主人公のモデルといわれた。
81年3月、中曽根内閣の臨時行政調査会(第二次臨調)委員に就任し、故土光敏夫会長の下、「臨調の官房長官」と呼ばれた。抵抗が強かった3公社(国鉄電電公社、専売公社)の民営化は、瀬島氏が政界や労働界を根回しした成果だった。中曽根康弘元首相のブレーンの一人で、故人の小渕恵三氏、竹下登氏、宮沢喜一氏、橋本龍太郎氏といった首相経験者ら政界要人に知己が多い財界人だった。半面、戦争に深くかかわった人物が政治の指南役となることに対する批判もあった。観光政策審議会会長、学校法人亜細亜学園理事長、西本願寺門徒総代などを歴任。84年勲一等瑞宝章を受章した。(9/4時事)

不毛地帯」では、山崎豊子が協力者として名前を後付に記載していたものの、後年はその生臭い生き方に嫌気が差して名前を削除したという話も聞いた。事実「沈まぬ太陽」では瀬島をモデルとした主人公はかなりの悪役として書かれている。
長期間に亘り「名誉顧問」として居座り、現に死ぬまで「理事」の座を手放さなかったという死に様がそれを象徴している。11年間シベリアに抑留された、その事実を抹消することはできないにしても、長きに亘って「老醜」を晒しすぎたのではないか。