「現実を見る」という作業。

自分自身、一歩間違えばそうなっていたであろうという、自戒の念をこめて書き起こす。
恋愛経験が浅いうちは、何度か失敗を繰り返すのは勿論だが、そこで「失敗を繰り返さない」手立てを打つかどうかが分かれ道となる。失恋の経験をトレースする作業は、「自分の痛さ」を直視することであるが、こういう作業は失恋のつど意図的に行い、その痛さにつながる原因を探求すべきだ。でないと、同じ失敗をまたどこかでしでかす。
「キモッサン」になる人間は、若いうちにこういう作業を十分行ってこなかった人間であって、「喪男」だから「キモッサン」になるのではない。この3条件を満たしていれば、十分にその素質がある。


(1)「自分の理想を曲げない」
理想と言っても、それは「外見」のみであって、「自分の性格に合うか否か」というのは別問題。その基準に合わなければ、自ら切って捨てる。

(2)「精神年齢が成長しない」
肉体は40代でも、精神は中学生前後のままで止まっているとか。少女買春をする人間や、炉莉の類は、精神年齢がその時点で止まった人間であると、橋本治氏も指摘している。(「ぼくらのSEX」)

(3)「年を取った分だけの見返りを期待する」
「肉体的に年を取る」実感がない上に、「年を取る」=「努力をした」という脳内変換が行われると、40代になっても「この年まで待ったんだから、20代前半じゃなければつりあわない」という発言となる。


なんだか精神分析医みたいな発言になってきた。少なくともそこに到達する過程においては、生育環境その他外部要因が多々あるのだが、言及するときりがないので、とりあえずここにて病む已む。