「漠河埠頭」へようこそ。


南満州鉄道が極北の地「漠河」に出張所を設けていたのは前に社員録で目にした記憶があったのだが、正式な所属部署まで調べていなかった*1。そこでいまふと思いつきで再確認したのだが「漠河埠頭」は水運局ではなく、鉄道総局の北満江運局所属だった。組織上はこんな位置づけ。


『社員録昭和15年7月』南満州鉄道1940, P.587 より。
埠頭長が「心得」(下位職階が上位職位を代行する際の呼称) というのだからどの程度の位置づけかがわかる。*2ちなみに漠河がどの程度の僻地かといえば『満州日報』1934.07.06にて「黒河・漠河間往復十日の行程」と言われたほど。「邦人約百五十名、三分の一は遊女上がり」で、採金苦力が一旗揚げに乗り込んでいたようだ。

*1:当時は満鉄技師来歴を追うのが精一杯だったため。

*2:職員は総合職、副参事・参事が管理職なので、一般総合職社員が「長」の肩書貰うのは異例。