子供だから「無邪気」なのは仕方がない

無邪気に騒ぎまくる子供を見て、自分はあの年齢から無邪気な時を過ごせていたのだろうかと思い返すのだが、あまりにもそういう瞬間が少なかったことを思い返して愕然となる。そう、子供の頃の数少ない忘却寸前の記憶はいくつかあるのだが、天真爛漫な気分で親子でどこかに行ってもらって楽しかった記憶がない。せいぜい、幼稚園の遠足で「こどもの国」に行った時に見たNY地下鉄の保存車や、水族館で書いてある漢字を読めたこと

いや天真爛漫さというのは、記憶に残らないものではなかろうか。

むしろ「現実」に引き戻されたときの記憶をずっと大人の時になって引きずっていて、それを「天真爛漫ではなかった」と思い込みたがるものかもしれない。