若松車輌の最期 (補遺)


「現実を思い知らせてやる」という毎日が憂鬱なのでこういうものを放流する。
http://d.hatena.ne.jp/SY1698/20161113 のつづきのようなもの。

若松車輌の本店があった北九州市若松区は電算化が遅かったために閉鎖事項証明書が取れないのだが「閉鎖事項証明書が取れなければ電算化閉鎖謄本を取ればいいじゃない」というわけで取ってみたわけだが、これで本店所在地が東京から移った日付がまるわかりで、予想通り受注対策のために本店を東京においていたという仮説が成り立ったわけだ。もっとも実際の工場があった若松区に本店を移したところで川崎重工の下請けがせいぜい (コンテナ貨車の受注はすべて川崎車輌名義) もっともどの車番が若松車輌製かは車番を見ても判断できず、新車出荷時に東小倉かどうか、内部資料でもない限りはそういうところまではわかるはずはないわな