「学び」には「敬意」が不可欠である

「他人に対する敬意こそが、自分に学びの姿勢を持たせることができる」ものだなということがふと頭のなかに思い浮かんだ。自分の持っていないものを持っている人へのあこがれこそが敬意につながり それが学びの姿勢を持たせるのかどうかわからないが。


いや、その背後には不純なものが含まれているのかもしれない。ただし、その動機に不純なものがあったとしても、深く相手を知ろうとする気持ちこそが自分の知らない分野への興味を抱かせるきっかけとなりうる。今だから書けるが、むかし好意を持っていた女性に否応なしにコクトー展に連行されなければ「存在困難」を知ることすらなかったはずだ。

動機そのものよりも、むしろ自分自身を見つめる中で、自分の持っていないものを持っている相手に対して敬意を抱いたときに、もっと深く知りたいという気持ちこそが、自らを奮い起こすきっかけとなるのではないだろうか。