磐梯急行電鉄副社長のその後

http://d.hatena.ne.jp/SY1698/20140821 のつづき。
磐梯急行電鉄の副社長であった住谷甲子郎に関する追加情報。
第65回国会交通安全対策特別委員会第10号 (1971.05.21) でこんな記述があった。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/065/0680/06505210680010a.html

井野委員 さらに申し上げておかなければならぬことがございますのは、この会館の建設資金の問題なんです。これは消してございますけれども、東京電力に出した要請文書です。文書の中身のことを、これはうそっぱちばかりですからよしとしましても、最後にたいへんなことを書いてあります。「上記本部会館建設に伴い、全国支部づくり、企画懸案中であります。」こうして会長太田正孝元自治大臣、経済学博士、勲一等、勲一等が泣きますわ。その次が小島徳司、その次が理事住谷甲子郎、経済学博士、福田大蔵大臣のおいとなっています (以下略)

http://www.kamocci.or.jp/business/jofax90.htm

「経営研修会」のご案内 主催:(社)三条法人会加茂地区/後援:加茂商工会議所
講 師/住谷甲子郎 氏(大蔵経経理研究所所長・(社)全国日本学士名誉会員

「秘書的存在」どころか「甥」となれば話はさらに違ってくる。同氏は1924年生、大蔵省東京財務局〜財団法人大蔵財務協会出身で当時47歳 (当然ながら磐梯急行電鉄を潰したあと)、やっぱりこういうところに顔を出していたのか。また、1979年に磐電不動産が鶴屋産業に紀州鉄道を売却してからの行方が知られていなかったのだが (同氏名義の著書は1979年を最後に刊行されていない)、加茂商工会議所の会員向情報に2000年時点で講演を行っていることが記載されているので、少なくとも同年までは存命であることも判明した。これは住所でポン!ミラー版にも名前が出ており (磐梯急行副社長時代の住所とは異なる)、これを公図と登記簿から割れば没年程度は割れるだろう。