この予言だけは的中した。


田中真紀子落選。比例復活もなし。
田中真紀子が2003年衆院選で「秘書給与流用疑惑」などなかったかのように圧勝したのを今でも思い出す。その時は白川勝彦氏がまだ政治に色気を残しており、出馬したものの見事に落選、何しろその時は田中陣営以外まともな選挙体制が整っておらず、当選したのは火を見るよりも明らかであった。さらに2005年は「郵政選挙」だから勝てないはずがない選挙。
ただし、この頃から落日の予兆を見るのは言い過ぎであろうか。
新潟県はそうでなくとも震災被害などが相次いでいたのだが、田中真紀子が地元に戻って何かをしたと聞いた記憶が無い。せいぜい浦佐駅前の田中角栄銅像に屋根をつけた程度(2003年時点では屋根はない)。その後紆余曲折を経て、民主党へ鞍替えという始末。ただし2009年時点の衆議院選挙では辛勝という始末。あの「知名度」をもってしてこれなのだ。次回の選挙では間違い無く小選挙区では落選するであろうと見越していた。それに加えて、文科相時代の「基地外」じみた卓袱台返しとか正気の沙汰とも思えぬ。そもそも、こんな御仁を(外相時代にさんざんやらかしているのに)起用した野田某もたいがいなのだが、その期待に応えてくれた田中真紀子はやはり空気が読めていた。
では、惜敗率を考えた時にどうだったかというと、維新候補にその分を食われて復活もならず。今度ばかりは、完全に政界から引退し、息子か娘か立てて戦わないと二度と復活はない。いや、むしろなくていいのだろうが、組織力が低下したときには一気に瓦解するという事例を目前にすることができたのは、いろいろな意味で教訓になろう。