P50型棚車を見たことがあるか


今から10年近く前、甘粛省劉家峡(甘粛省劉家峡水利水電第四工程局専用鉄路)に蒸機を見に行ったことがある。ここはかなりの僻地の上に、外国人は強制的に保険を買わされるというろくでもない場所だったが、そこで見たものがこの貨車。当時は貨車どころではなく列車をどう撮るかとかその程度しか頭にはなかったのだが、ネガをひっくり返して見たらどうもこの型式ほとんど残存していなかったのだ。

50t級の貨車は急速に淘汰されており、無蓋車(敞車)C50でさえも中国鉄道博物館にあるのを除けば本当に少ない。ましてや有蓋車(棚車)P50となればダルマになっているのを見られればそれだけで運が良かったねというレベルである。事実、これ以外に見た記憶がないのだからもったいない話である

もっとも、あとで写真をほじくり返してみたらこれ満鉄由来の貨車じゃね?なんてのも見つかることがあるので、油断はならないのだが。これは扎賚諾爾露天砿のもの。中国で戦後量産されたP1/P3の可能性もあるが、どちらにしても貴重な個体ではある

中国「蒸機」撮影紀行 1990-2011: 「火車」をもとめて20年

中国「蒸機」撮影紀行 1990-2011: 「火車」をもとめて20年

ゲリピッチャーにゲロピッチャー

さすがに連日子供の体調が悪いと、深夜病棟に連行されるこちらも安泰ではない。子供の風邪をうつされて休みとかなりたくはないが(無駄にこういうところだけは頑丈というか、不調の気配を感じたらベタ降りするからか)、毎度のことだが週末の徒労感は尋常じゃない。ただし今日は久々に離脱行動を取れたのでだいぶ気分転換にはなったから、こんな苦行続きでも平気ではある

弥生美術館に行ってみた(高畠華宵)

http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/
本日、所用のついでに足を伸ばしたのがここ。竹久夢二自体にはあまり興味は持っていないのだが、(偏った)戦前文化史の研究ついでということで。橘小夢展は軽く流して見たのだがなぜか「京鹿子娘道成寺」を連想した作品があった。

それはさておき、高畠華宵である。美人画で御殿を建てたという話もすさまじい。大正から昭和初期にかけてがその絶頂期で、掲載された雑誌を拾ってみたのだが、なんとこれらの少女雑誌は見事なまでに散逸しておりNDLにもないとは思わなかった。前に戦前少女歌劇誌の調査で苦労したのだが、また同じような状況に追い込まれようとはぐぬぬ

(左: 高畠華宵「光」、右:「馬賊の唄」『日本少年』1929/2)
※1 上野地下鉄ストアが開業したのが1931/6なので、左の作品はその前後に作成されたものと考えられる。しかし女子店員の制服はこんなスタイルだったのだろうか。
※2 むしろ「美少年画」のほうが有名かもしれない。「BL」的なものも存在する