「勅令第225号」従軍記章の件。

備忘録として記載。
勅令第225号では「昭和六年乃至九年事変従軍記章」の制定が行われ、これは官報第2267号(1934.07.23)に公示されているのだが、実際に賞状等の交付が行われたのは4月29日のようである。問題は、爾後に公示するのかという点で、この辺りを調べる必要性は多々あるのだが、官報には記章のサイズから形状まで記載されており、あとは実際に誰に交付されたかを調べる作業が待っている。

「羅津建設事務所」と開港式典。

これも備忘録として記載。
羅津港開港式典なのかわからないが、羅津建設事務所長が貴人への説明を行っていると言われる写真があり、宮家か李王家か判断がつかず頭を抱えている。まず開港時期だが、官報第2666号(1935.11.20)の府令にて、10月1日に開港したことが判明するのだが、これも例によって爾後公示。実際には第1期築港工事ならびに羅津駅への鉄道が開業したのは翌々年の1937年なのだが、当時は組織上「羅津建設事務所」は存在したのでこの年と考えるのが自然である。
ところが、李垠王太子は同年陸軍宇都宮歩兵連隊長に就任しているので、羅津港を訪問できたかどうかはわからない。前年であれば「郷軍全鮮大会」出席のため京城を訪問しているので、足を伸ばした可能性は否定できないのだが。さらにこの時期の李垠王太子に関する資料が、公文書館(「アジア歴史資料センター」)に残っていない。他の宮家の可能性もあるのだが、検索してもよくわからぬので、さらなる検証が必要。